映画監督木村大作インタビュー

「なんでもよかった」。それで飛び込んだ映画の世界。

映画は好きだったけど、映画に関係する仕事に就きたいと思ったことはなかったんだよ。高校2年生の時に親父が亡くなってね。弟が3人もいるから、母親は大変だよ。だから自分は大学に行かないで就職しようと思ったんだ。

 でもね、今でも数まで覚えているけれど、11社落っこちたんだよ。それでどうしようかと思っていたところに、東宝株式会社の募集があったんだ。なんでもよかったんだよ、就職できれば。それで受けてみたら、試験はできなかったんだけど、人事部長との面接の応対が丁々発止でさ。その頃からおしゃべりだったんだよ、俺。それでおもしろいと、採用してくれたんだ。工業高校卒だからボイラーマンでいいかって言われて、俺はなんでもいいですって話していたんだけれど、入社後に配属されたのは撮影所のアシスタントだった。それが1958年のことだね。みんながよく映画を観ていた、一番いい時だよ。撮影所なんかは特に人が足りなかったんだよね。

信念を持って、全精力を注ぎ込む。

そこから黒澤明さんの組で撮影助手として5本の作品に関わったけれど、黒澤さんは天才だよ。撮影現場では助監督やスタッフに撮影のアイディアを聞くけれど、誰も黒澤さんを超えるアイディアを出せる人はいなかったね。キャメラも自分でのぞいて画を決めるし、ライティングも指示する。黒澤さんの「この映画を撮りたい」という情熱を上回ることは誰もできないんだよ。そういうのを見てきているから、自分もそうありたいと思ったね。

 今でもそうなんだけど、1つひとつの作品に俺なりのこだわりがある。そこだけははずしたくないね。例えばキャメラマンデビューとなった『野獣狩り』だったら、全てを手持ちカメラで撮影するとかね。自分がいいと思ったら監督の言うことを聞かないし、いろいろ口出しもする。

 深作欣二(※1)さんが『復活の日』で俺を選んでくれたんだけど、その時は、全く、うまくいかなかった。現場でものすごく喧嘩ばっかりしていたよ。だから深作さんが俺に依頼することは、もう二度とないだろうと思っていたけれど、『復活の日』から6年後、『火宅の人』で声がかかったんだよ。

 最初に依頼があったときは前回のことがあるから半信半疑だった。でも「キャメラに対してはもう何も言わない。大ちゃんが思うようにやってくれればいい。俺は演出に集中する」という条件だったんだよ。そういう風に言われると俺も弱いんだよ。それで引き受けて、結局うまく行った。この作品は傑作だね。今でもそう思ってるよ。それから4本続いたのかな、深作さんとは。

 降旗康男(※2)さんともよく一緒にやったけど、うまく行ったのは、降旗さんが全面的に俺のアイディアを受け入れてくれたからだよ。でも、俺がいくら撮影を頑張ってもやっぱり降旗映画になっちゃうんだよ。俳優さんに注文も出さないし、役者が考えてきたことを尊重する。それが降旗康男のすごさだな。

 俺は若い頃から作品は選んでいたから、断った作品も多いよ。最近もキャメラマンの仕事の依頼がきたけれど、俺の要望を伝えると結局うまくいかない。俺の要求はフィルムで撮影することと、ビジコン3)を置かないこと。フィルムで撮影することは歓迎されるけれど、ビジコンを置かないことについては折り合いがつかないね。

 撮影というと昔はみんな俳優の演技に集中していたのに、今はモニターがあちこちにあって、みんなそっちに集中している。ひどい時は俳優にケツ向けて「よーい、スタート」をかけている監督もいるしね。それは映画の仕事の仕方としては最低だと思っているから、その要望を出すわけ。昔の黒澤明を観てみろと。1000ミリで撮っていても、ちゃんと俳優に指示をだしていた。なんでそれができないんだというと、今はそういう時代ではないので、ビジコンを置かせてくれませんかとなる。それじゃあ、僕とは合わない。そういうの大っ嫌いだからね。木村大作の映像が欲しいなら、俺の言う通りにしろと。それくらい撮影には自負があるし、責任も持つ。俺の意図を理解してくれない、意に染まないものは受けないんだよ。

夢はたくさん持って、道を切り開いていく。

映画を撮る一方で学生向けに講演を依頼されることも多いんだけど、俺がそこで言うのは「夢はたくさん持ちなさい」ということ。学校の先生や大人は、努力すれば夢は絶対実現できるって言うでしょ。あれは嘘だよ。例えば野球選手の中でもイチローとか大谷とかすごい人がいるけれど、自分の夢を叶えている人っていうのは数えるくらいしかいないんだよ。俺なんかは夢を実現して今があるわけじゃなくて、どこかに就職しなきゃいけないって時にたまたま入社できたのが映画会社だった。それで今がある。

 夢があるなら、それを達成しようという努力は必要だよ。でも、5年くらいやると分かるもんだよ「あぁ、これは自分には向いていないな」って。そうしたらさ、さっさと次の夢にむかった方がいい。一つのことをやり続けるより、転換する方がものすごく勇気とパワーがいるけれど、そうするとまた道は開けるから。合っているなって思えば、それは一所懸命頑張ればいい。

 今82歳になるけれど、こんなことになるなんて夢にも思っていなかったよ。キャメラマンやって、監督をやって、2020年には文化功労者に選出されちゃったわけだよ。ほかにも、紫綬褒章とか旭日小綬章とかたくさん評価してもらっている。それぞれの時に、一所懸命努力した時期はあるんだよ。でも、ずっと努力していたわけじゃない。それこそ一時期だけだよ。たまに、3~4年は一所懸命やればいい。人間なんてそういうものだと思うなぁ。

「普通」「平凡」だっていい。それが狛江のいいところ。

狛江ってね、すごく平凡な街だよ。でもそれがいいんだ。マンションも多くて、それって都心に通うサラリーマンが多いってことだよね。ちょっと歩けば多摩川もあるし。そういった意味では、ごく一般の、家族の話を撮影するには向いていると思う。

 多摩川と言えば土手の桜が素晴らしいんだよ。並木道というと剪定されちゃうことが多いけれど、人の手が入った桜なんて撮る気がしない。でも、自然のままが残っているところがあるんだよ。何回か撮って、映画に使ったこともあるよ。「むいから民家園」もいつかは使おうと思っている。時代劇なんかのときに。あとはお寺もいいのがあるね。

 『散り椿』を2018年に封切って、もうそれから4年は現場をやっていない。でも、映画の現場に行きたくて今もウズウズしているよ。次は、狛江を舞台に家族の話でも撮るか。現場が近くて楽でいいや。

 今活躍しているキャメラマンや監督を見ると、俺が知っているのは1割くらいしかいないんだよ。俺はそれくらい過去の人になっているの。時代や社会環境が変わって、みんな映画館に行かなくなっちゃったね。若い人向けのアニメーションがヒットしているような今は、俺の行き場がないなって思ってるよ。でもね、映画界って波があるんだよ。だから、きっとまた文芸的なものや社会派なものといった、大人向けの作品が好まれる時代がくる。そうすると俺の行き場がでてくると思っているんだけどもね。そうだな、あと2本くらいは撮りたいな。よく代表作は、って聞かれるけど困るよ。だって代表作はこれから撮るんだから。

※1=1930年生。映画監督。作品に「仁義なき戦い」「柳生一族の陰謀」「魔界転生」「バトル・ロワイアル」等。2003年没。

※2=1934年生。映画監督。作品に「冬の華」「駅STATION」「夜叉」「鉄道員(ぽっぽや)」等。2019年没。

※3=映画撮影の現場で、大まかに監督やスタッフが撮影内容を見ることのできるようにしたビデオシステム。

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